雨の朝
7月ももう半分が終わり、パリの夏になりきらない天気をうっとうしく
思いながら9月に東京で行われるコンクールの曲を練習しているわけだが、やっと6月の音楽院の試験の後のなにもやる気が起こらない状態から回復はしているみたいだ。
ここ2年ぐらいは日仏文化会館の図書館で本を借りて読書の日々を送っている。
最近読んだ本で木々靖子の”陽が昇るとき”というのがある。それは、
林忠正と従兄弟の磯部四郎の物語である。舞台は100年前のパリと日本で、
四郎はパリに法学を学びにきて、その後日本に帰り民法の起草に若かかりし日々を費やした。一方忠正は博覧会の下働きでパリに来たわけだが、
その後パリで日本美術の紹介、日本美術商を営んだ。特に浮世絵が世界的地位を得たのは彼のおかげだといえるだろう。
確かにパリに来るまで浮世絵というのは学校の教科書の中でしか見たことが
なかったもので、パリのギメ美術館で見た時にはとても新鮮で感銘を受けた。
100年前日本では、浮世絵は芸術として全然認められてなく、女、子供が集める
ものとされていた。それが欧米の浮世絵えの関心が高まり値も急激に高騰していくなかで、どんどん日本から流出していってしまった。今でも日本に残ってるのだろうか。日本においてもその当時浮世絵の価値を人々が本当に理解していれば、流出はいくらか押さえれたかもしれないが、その当時の日本の美術の認識度からしたら、無理なことだったのだろう。
明治維新から西洋の文化が入ってきて日本の中で急激に西洋化が進められてきて、3,40年で列強の仲間入りをしたと勘違いして、表面上だけの西洋化が、後々軍国主義の方に片寄っていってしまうのだが。これまで戦争というのは学校の教科書の中で歴史として習ったが、
自分の中でどうも現在とあまり繋がってないような歴史だった。しかし3冊の本がその空白をうめてくれてくれた。それらは木々靖子の”陽が昇るとき”同じ著者で”敗戦まで”井上ひさしの”東京セブンローゼス”である。
どういう経緯で戦争が起こったのか。それは明治維新からの西洋化、軍国主義から端を発していた。列強に必死で追いつこうとしたのである。そうみると日本近代史は戦争の歴史であり、自滅の道を進んで行ったのである。最初からアメリカ相手に勝てる勝算はなかったのに、戦争を避けることができなかったのは、その当時渦巻いていた空気だったのだろう。陸軍の独走等、日本国民も戦争の勝利に酔っていた。
終戦を迎えアメリカ軍が日本に入ってきて、日本国民が180度の転換をしたというのを知った時には正直いってとてもショックを受けた。終戦までは、”天皇万歳”だったのが、戦後は”マッカーサー万歳”になってたわけで、それではあまりにも、若くして死んでいった青年や、沖縄で集団自決をした人達がかわいそうだ。
その180度転換する国民性に驚かされた。
自分の中で空白だったことが埋まってきて改めて日本人として戦争のことは知っとかないといけないことだと自覚した。戦争を現に体験してる人々もどんどん
少なくなっている現在、これから誰が後世にこのことを伝えていくのだろう。”戦争を知らずに僕らは生まれた、戦争を知らずに僕らは育った、、、、”こういう歌があったのを憶えている。戦争で亡くなった人達の冥福を心から祈ります。
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